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相対性理論とかなんとか

たとえば、二週間後に旅行が控えているとしませうか。

大体の人はかく言うのです。

「その旅行を楽しみに、それまで耐える」と。

まぁそうですよね。その耐える期間は仕事やったり学校やったり。なにか課題が控えているのかもしれません。

いわゆるその旅行の予定を「ご褒美」として、ニンジン作戦がごとくその日に向かって走るのです。



では、それまでの、旅行までの日々は、無為なものなのでしょうか?

また、大体の人はこう思うわけです。

「早く旅行の日にならんかな」と。

指折り数えて待ち望む出発の日。ではそれまでの期間は、あってもなくてもよいのでしょうか?

人間、寝ているときの記憶ってないですよね。

まどろみ、眠りについた記憶の次の記憶は、朝目覚めたとき。

その間には確かに時間は存在しているはずなのですが、記憶、意識の観点のみでいえば、その眠りについた12時なりの次は、もう朝の6時なのです。


そんな風に、今日という日の次が、旅行の出発日につながれば、なんと幸せなことか。
もちろんその間の期間、恙無く生活は続くとして・・・


つまり、その間の期間を「ルーティーン」と割り切ってしまっているのです。

ハナからその間に楽しみや得るものはない。ただ、日々を消化する。


こういう考え方をしてしまうと、案外人生って短くなってしまうのだなぁ、と最近思ってなんかは別にいなくて今ただふと浮かんだだけなんですが。

ただ、朝会社に向かう歩道橋を階段をのぼるとき、いつも決まって必ず毎日、思いは暗くなった夜、その階段を下っている自分の姿を浮かべます。そして早くその時になってほしいと願います。

つまりそこからの10時間ほどの事に関しては、私は一切興味がない。


これを大きくしてしまって、つまるところ2週間後の旅行までの時間に、私は一切興味がないのであろうか。



理想は


確かに二週間後楽しみだけど

それはわくわくしているのであって


早くそのときが来てほしいわけではない。

あくまで時間の流れは一定。



そんな感覚。



そんないま

寝てしまえば


朝が来て


家を出て


また私はあの歩道橋で


一寸先の自分を、望むのでしょう。


そんな毎日。エブリデイ。


ながたにでした。
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テーマ : 日記というか、雑記というか…
ジャンル : 日記

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